みなさん、こんにちは。
タングステンです。
突然ですが、ここで質問です。
みなさん、“大人”って何だと思います?
今回はこの質問を軸にして記事を書き進めていこうと思います。
“大人”って何だろうと考えている方に何かしらの気づきや発見をもたらすことができるかもしれません。
“大人”という何とも難しい概念について考えてみましょう!
“大人”って何? あなたは”大人”?
改めて質問です。
みなさん、“大人”って何だと思います?
法律の区分、形式的なところで定義づけるなら18歳や20歳といった一定の年齢に達した「成人」のことを”大人”と言うのでしょうかね?
お酒が飲めるようになったり、喫煙できるようになったりすることも”大人”であることを満たす要素と言えるかもしれません。
ほかにも人それぞれに思い浮かべる”大人”の条件があると思います。
それではもう一つ問いましょう。
みなさん自身も含めて、みなさんが接する人たちって”大人”ですか?
筆者が今回書きたいことのすべてがこの問いに詰まっています。
さあ、いかがでしょうか?
考えてみてもらえましたか?
一応明確にしておきますと、先の問いはみなさんが接する人が「成人」であるかどうかを問うているのではありません。何となく察していただいているとは思いますが、ここは明言しておきましょう。
筆者が知りたいのはもっと本質的な部分。“大人”という存在の核心を明らかにするような、現代社会において”大人”と呼ばれる人がそう呼ばれる所以のようなものが如何なるものなのか。先の問いはこうした多分に抽象性を含んでいる問いなのです。
以上を踏まえて、改めて考えてみてください。
みなさん自身も含めて、みなさんが接する人たちって”大人”ですか?
成人は”大人”たり得るのか?
先の問いについて、みなさんにはあれこれ考えていただいたことと思います。
みなさんに問いながら筆者自身もその問いの答えを考えていました。筆者が経てきた様々な経験や筆者が遭遇してきた多くの人々を思い出しながら、自身が提示した問いの答えを探してみました。
…
……
全 然 わ か ら な い
形式的な”大人”、いわゆる「成人」がどのようなものなのかをイメージすることはそう難しくありません。飲酒・喫煙が許されているとか、競馬や競艇といった公営ギャンブルの投票権が購入できるとか、「成人」にならないとできない行為がありますからね。それにそもそも「成人」していると認められる人は、その国で定められた成人年齢に達している人であるはずです。
つまるところ、「成人」という形式的な”大人”にはそうであるか否かを明確に判別する基準があるのです。
では、本質的な”大人”とは何でしょうか?
一気に難しく、抽象的になりました。
形式的な”大人”がどんな存在なのかはすぐにわかりましたよね。明確な判断基準を満たしているか否かで”大人”なのかそうでないのかを判別できますから。
じゃあ、本質的な”大人”にもそれを決定する明確な判断基準があればそうであるか否かがわかりますね!
…
本質的な”大人”であるか否かを判別する基準って何でしょう?
新たな問いが生まれてしまいました…
“大人”はこうあるべき? “大人”の条件を考える
問いに次ぐ問いで”大人”がどういった存在なのかわからなくなってきていると思います。
このままでは袋小路です。
というわけで、少し思考を切り替えてみましょう。
先述してきた問いはひとまず横に置いておいて次の問いを考えてみてください。
みなさんが思う”大人”ってどんな人ですか?
あなたが思い描く”大人”がどのような人なのかを考えてみてほしいのです。
とりあえず、10個ほど出してみましょうか。メモに書き出してみてください。
…筆者も一緒にやってみましょうか。
うーん、そうですねぇ…
筆者の思う”大人”はこんな感じですかね。
人の話を途中で遮らずに聞ける人
家族・友人・それ以外問わず他者に思いやりを持てる人
店員さんや窓口の人に敬意を持って接することができる人
自分の感情、特に怒りの感情をコントロールできる人
他者のことを考えて発言・行動ができる人
伝えたいことを整理して話せる人
周囲の状況を把握してその場に応じた行動を取れる人
「ありがとう」「ごめんなさい」が言える人
自分の行動や発言が引き起こすかもしれない事象を想像できる人
我を通しすぎず我慢ができる人
スケジュール管理ができる人
ルールや決め事を破らない人
自身に非があったときにそれを認められる人
知見や見聞が広い人
スルースキルを身につけている人
あくまでも筆者が個人的に思っている「“大人”ってこんな人?」を書き出してみました。筆者自身が心がけていることから、こんな人になりたいという憧れまで、いろいろと考えてピックアップしています。
どうでしょう?
もしかすると、みなさんが思い描いた”大人”と重なっている部分があるかもしれません。
反対に筆者とは全然違う”大人”像を思い描いている人もいるでしょう。
そう、“大人”は千差万別。人によって思い描く像は異なっているのです。
だから、「本質的な”大人”とは何か?」と問われても答えに詰まってしまうのです。その答えは十人十色、人によって様々で正解も間違いもないのですから。
とどのつまり、本質的な”大人”の十分条件はこれでもかというほどありますが、必要条件はないんですよ。あれができるから”大人”とか、こんなこともできない奴は”大人”じゃないとかはありません。
たとえば、挨拶がきちんとできる上、人の話を遮らずに聞けるAさんという人がいたとしましょう。加えてその人は他者のことを考えて発言・行動ができ、おまけに知見や見聞も広い方です。「ありがとう」「ごめんなさい」も言えます。ただ、Aさんはスケジュール管理に甘いところがあり遅刻をすることがしばしばあります。
さて、Aさんは”大人”と言えるでしょうか?
ここでAさんを”大人”とするかどうかを判断するのは各個人であり、明確に定められた判断基準によって”大人”であるか否かを線引きするわけではないのです。
そのため、
挨拶できて話も聞ける。人のことも考えられていろんなことも知っているんでしょう? ちょっとくらいスケジュール管理が苦手でもAさんは”大人”だと思うよ
確かに優秀な人だとは思いますけど遅刻する人なんですよね? 遅刻するような人を”大人”とは言えないのではないですか?
といった風に人それぞれの異なる意見が出てくることが予想されます。
そして面白いのが、どの意見にも一理あり「それは間違いだ!」と決めつけることができないところです。
これが「十分条件はあるけれど、必要条件はない」ということです。
ちょっぴり話が難解になってきたため、よりわからなくなってしまったという方もいるかもしれません。
ただ、みなさんが思う”大人”の十分条件はわかってきたはずです。
こんな”大人”は嫌だ
“大人”の十分条件を把握することで”大人”という存在の輪郭くらいは捉えられたのではないかと思います。
ここからはもう少し”大人”の十分条件について掘り下げてみましょう。
というわけで質問です!
「こんな人は”大人”じゃないよね」と思う人ってどんな人?
さっきは”大人”だと思う人を聞いたので、次は”大人”ではないと思う人を聞きます。
“大人”ではない人の方が思い浮かびやすいという人もいるかもしれません。
こちらも先ほど同様に10個ほど挙げてみましょう。
人の話を聞けない人
すぐに誰かのせいにしようとする人
人の気持ちを考えられない人
ワガママ・自分勝手な人
相手によって態度が変わりすぎる人
謝罪ができない人
機嫌の良し悪しによって態度が変わる人
譲歩ができない人
価値観を押しつけてくる人
自分が間違えている可能性を考慮できない人
まあこんなところでしょう。
ここで挙げた人たちですが、全員筆者が遭遇した人です。いるんですよ、こういう人たち。ホント、嘘であってくれればどれだけ良かったことでしょう。
そもそも、筆者がこの記事を書こうと思った理由が仕事で上記のような人と接しすぎてストレスがたまったからなんですよね。
個人的な話になりますが、普段筆者は地方の総合病院で事務職員として働いているんです。業務内容は様々ありますが、そのなかに受付窓口での来院者対応や電話応対があります。
…すでにお察しの方もいるかと思いますが、ストレスの主な原因は来院者対応や電話応対です。こういった仕事をしていると、想像できないような行動・言動を取る人間とたくさん遭遇するんですよ。
応対中に危うくキレそうになってしまうこともしばしば…
ホント、無茶苦茶なことばかり言いやがって…
わからないことを聞いてくれるのはいいけど、せめて人の話は聞いてくれ…
マジでいい加減にしてくれ…
……
…とまあ、筆者の話は置いておきましょう。
みなさんも”大人”ではないと思う人にいくらか心当たりがあるのではないでしょうか?
これも人によって様々な意見が出てきそうですね。
いろいろ考えてもらったところでふりだしに戻りましょう。
“大人”に正解はない、あなたが思う”大人”はどんな人?
“大人”だと思う人 / “大人”ではないと思う人
この2つを考えたことでみなさんそれぞれが考える“大人”の判別基準が浮かび上がってきたはずです。
では、改めて問います。
みなさん、”大人”って何だと思います?
みなさん自身も含めて、みなさんが接する人たちって”大人”ですか?
…
……
…うん、やっぱりわからんな!
“大人”の十分条件をいろいろと考えてみて、「”大人”ってこういう人かなぁ?」というざっくりしたイメージを持つことはできました。
でも、「”大人”とは何か?」「あなたは”大人”ですか?」と問われると腑に落ちる答えが出てきません。
一応自分のなかに答えはあるんですよ。あるにはあるんですけど、その答えはあくまでも筆者個人の考えにもとづく答えです。筆者の答えに賛同してくれる人もいるかもしれませんが、万人共通の正解になることはないでしょう。
結局のところ、”大人”か否かを判別する各個人の基準は個人的な意見の範疇を出ないため、そこに絶対的な基準や揺るぎないルールを指定することはできないんです。
どこまでいっても「自分ルール」でしかないのです。
「自分ルール」が多くの賛同を得ることもあるでしょうし、反対に一切共感してもらえないこともあるでしょう。真っ向から否定してくる人もいるかもしれません。
ただ、一つはっきり言えることがあります。
どれだけ多くの賛同があっても、誰一人共感してくれる人がいなくても、みなさんが持っている”大人”の判別基準に間違いも正解もありません。
そもそも、今回みなさんに考えてもらった”大人”の判別基準はみなさんの価値判断をもとに作られたものですよね。人の価値判断は十人十色です。それなので、”大人”の判別基準は人の数だけ存在しており、そこにはグラデーションがあって然るべきなのです。
本記事を最後まで読んでくれたみなさんに明確な答えを提示することはできませんでしたが、みなさんが”大人”を考えるきっかけになったのであれば嬉しく思います。
今回は何だかとりとめのない記事を書いてしまいました。
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